1966年より、2000GTでレーシング参戦していたトヨタだが、日産やポルシェに太刀打ちできず、新しい強力なマシンを送り込もうとして、急いで造り上げた試作車。
他の市販車種の準備で大わらわだった横で
、少しでも早く他メーカーのマシンの性能に追いつけるようにと焦って開発されたことにより、高機能ばかりを重視し、剛性テストなどはきちんと行われず、その結果、1969年に、当時イケメンレーサーとして、また福澤諭吉の子孫として、F1ファン以外にも人気を博していた福澤幸雄がテスト中に事故死するという事態を招いてしまった。
翌1970年には、同じくイケメン若手レーサーとして人気だった川合稔も、トヨタ7搭乗中に事故死。
2名の死者を出し(有名ドライバーが2名というだけで、実際はもっといた可能性も…)、事故後の応対の杜撰によって当時トヨタは激しく批判され、特に福澤幸雄については父親が訴訟を起こし、以後10年間論争したという(結果的にトヨタが敗訴)。
特に贔屓のメーカーがあるわけでもない、ゆる車好きの私は、アンチトヨタでもなく、逆にトヨタファンでもない。
ただ、現在もトヨタ博物館に展示されているトヨタ7が、そういった悲劇を生んだマシンでもあるということを、心にとどめておこう。
詰めの甘い点は多々あったものの、最強のマシンを世に送ろうという意思の塊のひとつでもある。別に人を殺そうと思って開発されたわけではない。事実、別のドライバーは「過去最高にエキサイティングなマシンだった」と述べているし。