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1964年12月13日産まれ。


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言わずもがな、X(後のX JAPAN)のギタリストにして、ソロアーティストとしても伝説的なお方である。



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そもそも、「ヴィジュアル系」という言葉が生まれた根源は、Xのメジャーデビューアルバム「BLUE BLOOD」のキャッチコピー「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」であり、そのキャッチコピーの考案者はhideなのだ。



'80年代後半の時点で、化粧を施した出で立ちをしていたり、空想的な世界観を楽曲やライブパフォーマンスで表現しているバンドは数多存在した。


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「我輩は悪魔である」と主張し、Xよりも先にメディアに積極的に出演し成功していた聖飢魔II。


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メンバー全員が髪を逆立て、ワルそうな風貌とは裏腹にポップでキャッチーな曲で注目を浴びていたBUCK-TICK。


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Xと同世代ではあるが、少しだけこちらの方がメジャーデビューが早く、被害妄想的な歌詞をコミカルに描き、バラエティ番組にも多数出演していた大槻ケンヂ率いる筋肉少女帯。


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Xと同年デビューであり、さらにインディーズ期のXと同じく、「天才たけしの元気が出るテレビ」に出演し、メンバー4人全員が赤・青・黄・緑とそれぞれ派手な髪色に染めており、アニメ「シティハンター」の主題歌などで注目を得たAURA。







これらのバンドは、Xが世の中を席巻し始めた頃には既に活躍中で、お茶の間にも知れ渡る人気を持っていた。


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が、過激なメイクを施したり、物語的な世界観、薔薇や血や涙といった悲哀を想起させる単語をふんだんに用いた歌詞、華やかで哀しくクラシカルで激しいピアノ、ひいてはライブ中に失神してドラムセットの中に倒れこむ様までを総合芸術と呼ばせ、「VISUAL SHOCK」と名付けたhideのセンスは、それまでの「化粧しているバンドはイロモノのお笑い系」という世間的イメージを覆してしまった。




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もちろん、聖飢魔IIだって筋少だってB-TだってAURAだって、もちろんメンバーは大真面目に音楽をやっていただろうし、それは各バンドのファンならみんな理解していることだろう。しかし、興味のない人達の記憶にある姿はやはり、「写ルンです」のCMで子供と戯れるデーモン閣下や、「世界ふしぎ発見」でぼそぼそと話すオーケンや、CDラジカセのCMで髪を逆立て顔に「B-T」とラクガキしている今井さんの姿なのだ。(AURAに関しては私、実はよくわかっていないので、当時の影響力などご存知の方いましたら是非コメントください、ご教授頂きたいです。)





しかし、「たけしの元気が出るテレビ」に出演していた無名時代はイロモノ扱いだったものの、どれだけお化粧をしているバンドに興味がなくても、どれだけ知らなくても、X JAPAN及びYOSHIKIやhideのことを「お笑い系」だと思っている人は、まずいないはずだ。



それはなぜか。



その理由はとてつもなくシンプルだ。

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YOSHIKIとhideの出で立ち、作る音楽、演奏する楽器、ひとりの人物としてのカリスマ性が、それを的確に自ら指した「VISUAL SHOCK」という単語の説得力を生むにはあまりある影響力を持っていたからだ。



「オケバン」と揶揄されていたXのデビュー当時(1989年)と、「抱かれたい男ランキング」のトップ10にTERUやIZAMや松岡充がランクインした10年後(1999年)。


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まるでオセロのどんでん返しの如く、「お化粧しているロックバンド」の印象が、「ヘンテコな連中」から「かっこいい人達」に変わってしまったのだ。

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この大掛かりな印象操作はある種、暴力的でもあり洗脳的である。なにしろ、かつて多くの知人から「粗大ゴミバンド」とまで呼ばれた数年後には、その何十倍もの多くの見知らぬ人から「神」「カリスマ」と崇められる存在になったのだ。下克上なんて次元ではない。単なる千葉のバンドマンが信仰の対象になったのだ。そして、行き過ぎた信者の言動や行動によって、ヴィジュアル系バンドとそのファンの関係性に閉鎖的、宗教的なイメージを世間に植え付けてしまい、嫌悪感を持つ第三者を多く作ってしまった功罪もまた、受け入れざるを得ない。



「DICE」



「Beauty&Stupid」





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ようやく本題に入るが、ソロデビュー後のhideのファッション。真っ赤に染め上げ、逆立てた髪。虎?豹?柄のエナメルっぽいタイツ。ハートマークがたくさんペイントされている黄色いギター。


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ヘンテコである。こんな変な格好の人が街を歩いていたら、思わず二度見してしまうだろう。「Junk Story」の歌詞でも自嘲している通り「赤毛の変な頭」なのだ。



このエイリアンみたいな風貌を「カッコイイ」と思わせてしまう影響力こそが、「VISUAL SHOCK」、そして「PSYCHEDELIC VIOLENCE」そのものなのだと感じる。


「D.O.D(DRINK OR DIE)」



「ROCKET DIVE」



さて、えっらそうにここまで講釈垂れておきながら、私、実は、hideの存命時代には彼の楽曲はろくに知りませんでした。せいぜい「歌の大辞テン」で「ROCKET DIVE」のPV映像を少し拝見した程度。もちろん、X JAPANのことも、名前だけは知っていたものの、中学3年生(2000年)までは全くもって興味がなかった。そもそも、LUNA SEAの項でも書いていた通り、私は小学生の頃はむしろ、「ヴィジュアル系なんて気持ち悪い」と忌み嫌っていたほどなのだ。憎悪は、あるきっかけによって愛情に変わることもあるのだ。





hide及びXは、私にとってはその「きっかけ」ではない。「きっかけ」はあくまで河村隆一やGLAYや黒夢だった。しかしその「きっかけ」の人達を育てたゴッドファーザーこそがXでありYOSHIKIであり、hideなのだ。LUNA SEAやGLAYを発掘しYOSHIKIに推薦したエピソードはよく知られている通り。そして、hideは「ヴィジュアル系」というジャンルを提案し、LUNA SEAやGLAYが世に出始めた頃に、自身もソロミュージシャンとして世に出た。


「DOUBT'94」



「50%&50%」




ソロでのhideの方向性はといえば、NHKのニャンちゅうみたいな喋り方と歌い方、ライブ中にテレビモニターで野球中継を映す(そして巨人ファンのサポートメンバーのPATAは、巨人が負けていると拗ねて楽屋に帰る)、薔薇と涙と悲しみに溢れた耽美派なYOSHIKIの詩とはある種対象的に「もんじゃってもまれてナンボ」「しゃれたおべべのテクノしゃれこうべ」「まるでハリボテ張り子の虎」「言うならネコのヒゲほどのプライド」などという皮肉をコミカルにアレンジしたようなキャッチーな歌詞、そして、ポップな曲調。


野球とビールと石塚先生



閉鎖的で宗教的な価値観に固執することなく(別にそういった価値観が悪いと述べているわけではない。他人に迷惑をかけないのならば、そういう価値観も素敵と思う。)、彼のソロワークは解放的で野心的だった。彼は自らを神とも思っておらず、ピエロとも思っておらず、プロデューサーとも思っていなかったのではないか。だからこそ、ずっとエンターテイナーだったのではないか。


テキーラを渡すととんでもないことになる





思いついたことをやるだけ。



これは簡単なようで、いざ実行に移すのはたいへんな労力を要するということは、年齢を重ねると徐々にではあるがわかってくる。ましてや、熱心なファンが多く社会的影響力の強いバンドで活動していたのである。決して軽くはない業績と責任を持ちながら、新しい事案に手を出すプレッシャー。それは半端ではないはずだが、少なくとも表面的には気負いが全く見えず、見えるのは「エンターテイナーとしてできるだけふざける、思いついたらとりあえずやる。」という野心のみ。





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YOSHIKIもエンターテイナーだが、良くも悪くも彼は、薔薇と涙と悲しみに包まれた、儚く美しい、一介の凡人には到底踏み込めない領域にいる、お上品でブルジョアジーで優等生なエンターテイナーだった。それに対してhideは、一介の凡人でもお友達になれそうな、下ネタで一緒に盛り上がってくれるし同じくらいの偏差値の高校に通っているでもちょっと奇抜で斬新な遊びをすぐやり始めるエンターテイナーとして君臨した。



 

ファンとの距離を縮めること。



ライブに行くのが大変な地方のファンのために、トークが苦手なのにローカルテレビにも積極的に出演したり、ツアーグッズは全て5000円以下の値段に抑えたり。神格化されて良くも悪くも雲の上の存在になっていたXの短所を補うかのように行動していた。





難病のファンのために骨髄バンクに登録していたエピソードは有名だが、当初は本人はそんないい人エピは隠しておくつもりだったという。そんなところからも、彼の人柄が窺えるのではないか。


「MISERY」





1997年12月31日、X JAPANは解散。



YOSHIKIの精神的不調、TOSHIの洗脳疑惑、hide含むメンバーのソロ活動の活性化、6年ぶりにリリースされたアルバムは実質的に過去のシングルの詰め合わせだった、契約上のゴタゴタによるベスト盤やライブ盤の乱発、以前より激しい曲をやらなくなったこと、X JAPAN世界デビューの予定が頓挫。様々な問題を抱えながらの解散だった。



最後まで解散に反対していたというhideは、hideのいるX JAPAN最後のテレビ出演となった同年の紅白歌合戦の中継中も、内心不貞腐れていたという。



しかし明けて1998年元旦、当時既に公式HPやBBSを作っていた彼は年明けと共にページを一新、今後はソロとしてとことん攻撃的に活動して行くことを宣言した。

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「ELECTRIC CUCUMBER」



そして、外国人メンバーとオルタナティブなバンド「zilch」を結成し、世界デビューも果たし、夏にはマリリン・マンソンとの共演も控えていたという。曲名やPVからも察せるとおり、「Spread Beaver」と同じく、完全に下ネタである。





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リリース第一弾の「ROCKET DIVE」は、X JAPAN解散の悲しみを吹き飛ばすようなポジティビティーに溢れた曲で、X JAPANにはまるで興味がなかった層まで取り込んだ。

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自身がパーソナリティを勤めるラジオ番組も始まり、5月にはシングル2枚を2週連続でリリースすることも決まっていた。ラジオでいち早く流れていた「ピンク スパイダー」は、ひねくれていて、明るくて、ダークで、ヘヴィで、コミカルで、シリアスで、そしてヘンテコだった。奇抜だった。フツーじゃなかった。チョコレートの包装紙みたいなCDジャケットや、ビックリマンシールのパロディみたいな、Spread Beaverの面々の写真を収めた「怪人カード」も、茶目っ気たっぷりだった。思いつきをポンポン詰め込んだ、超楽しいシングルだった。


「ピンク スパイダー」




しかし、そんな超楽しいシングルが世の中に出る直前、1998年の今日、hideさんは、ふらっとどっかに行ってしまいました。


「ever free」



ニュースでは様々な憶測が流れ、関係者や特に関係ない人が関連本を上梓し、ふらっとどっかに行った彼を何人ものファンが追いかけました。


「DOUBT'97」


「DAMAGE」



私は、hideがどっかに行ってしまった遥か後から彼のことを知ったので、存命中の彼のことを知っている人が、とても羨ましいです。だからこそ、真相は知りたくもあるし知りたくもない。憶測は誰でもできることなので、聞きたくも読みたくもない。

「In Motion」


「TELL ME」




彼は発明家でした。



「ヴィジュアル系」を発明して、色んなヘンテコな曲と歌詞とギターとファッションとMCを発明して、音楽という形で、色んなおもちゃを発明してくれました。私たちができることは、一番したいことは、彼の遺したおもちゃでさんざん遊び倒すことです。





そのたくさんのおもちゃの中でも、個人的に最もお気に入りのおもちゃがこれです。



「Hi-Ho!」













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